家族
2007年8月6日
親は有り難いものだと人は言う。大切にしなければならないものだと皆が言う。私はそうは思わないので、そのことを人に言うと、必ず軽蔑の眼差しで見られる。貴方方が私の何を知っているというのだろう。道化に徹せざるを得なかった子供の頃の自分を顧みると涙が出てくる。私には母親に好かれていなければならない理由があった。
私の肋骨は左右対称では無い。左の方がかなり曲がっているのが分かる。大人になってからは筋肉もつき目立たなくなっているが、子供の頃は見ればすぐに分かる位に曲がっていた。原因は骨折らしい。らしいと云うのも、私がまだ母親の腹の中にいる時の話だからだ。私が産まれたときにこの奇形を見て驚いた母親が、医者に聞いた話なので信憑性は高い。母親にも心当たりがあるのだと云う。心当たりとは父親の暴力である。どうやら腹を思い切り蹴飛ばされたことがあるらしい。その時に折れた肋骨が曲がって着いてしまったようだ。
私が産まれてすぐに離婚し、その後母親は再婚した。私は物心着いた頃から毎日のように母親に言われ続けた。「あんな父親だったので本当は産みたくなかったが、お腹の中にいるお前が可哀想だから産んであげたんだよ」「お前さえいなければ、私はあんな親父と再婚しなくても済んだんだよ」「私は自分が嫌な思いをしてまでお前を育ててるんだから、絶対親孝行しなくては駄目だよ」「頭に来る!お前が分かれた親父にだんだん似てきた!」脚色は一切無い。こんな言葉を言われ続けて育った。また私は子供の頃から毎日叩かれて育った。ミミズ腫れの無い日は無かった。自分でも何がそんなに悪いのか良く分からないままに、一時間でも二時間でも叩かれ続けた。最初の数十分は痛みで泣き叫ぶのだが、不思議なもので涙も枯れ果てる頃には、どこを叩かれても無痛になってくる。今考えれば気を失う寸前だったのだろうか? 泣き声も元気が無くなってくると、母親の方も張合いを失うのか、叩くのを止めてもらえた。気に入らない事があると、どれそれ構わず近くにあるものを掴んで叩き始めるので、それが硬いものだと頭の場合は流血した。最後に必ず「お前が可愛いからこんなに叩くんだよ」と云っていた。私への憂さ晴らしで叩いていたのは分かっていたが、自分が生きていくためには頷く以外に方法がなかった。
もう十年以上母親に会ってはいない。世の中で一番嫌いな人間なので会う気もない。最初の父親に至っては四十年以上会っていない。子供の虐待など今に始まったことではない。私は実の母親に虐待を受けてきた。誰も私を助けてくれる人はいなかった。祝福されて産まれてきた人達に私の何が分かるというのだ。
2007年7月8日
今日は長男が来ている。来ていると言っても私に会いに来てくれている訳ではなく、自分の恋人との逢瀬の宿に利用しているだけである。自宅では兄弟や母親から好奇の目で見られるらしく居心地が悪いらしい。現在高校一年生だが親に似て学業には全く興味が湧かないらしい。彼を夢中にさせる物は音楽である。かなり年上の連中とバンドを組んでいるらしく都内のライブハウスに良く出演しているらしい。人気もなかなかのものらしくチケットは必ず売り切れるそうである。私も高校生の頃は何度かライブハウスで演奏した機会があるが、毎回のようにチケットが余り、ずいぶんと持ち出しが多かったことを考えると大した物である。私がやっていたパートはギターであったが長男はベースを選んだ。楽器に興味を持ち出した中学生の頃はギターを弾いていたが、女にモテたいならベースにしろと箴言してやった。素直にベースに転向した。最初の頃は私の演奏ぶりを(多分)憧れの眼差しで見ていたが、数ヶ月ほどして長男の演奏を見て驚いた。バリバリにチョッパーで弾いているではないか! あっという間に追い越されてしまった。それ以来長男の前ではベースを弾いていない。次回は目黒の鹿鳴館に出演するらしい。事前審査があり基準に達していないバンドは出演ができないというお高くとまったライブハウスである。まだ15歳という年齢を鑑みるとひょっとしたらひょっとしてである。(後日談 長男は現在高校二年生だったらしい。情けない親である。)
2005年7月1日
本日は次男とチャットで話し合った。将来の夢はヤンキーになることであるらしい。アメリカ人ではなく不良少年のことである。素晴らしい夢であるとは思えないが、自我の目覚めという観点に立つならばむしろ喜ばしい事なのかも知れない。それならば思い切って銀行強盗ぐらいは計画せよとの助言をしてみたが、それとは若干趣が異なるようである。夜中のコンビニでウンコ座りをして仲間とダベる事が最終目標であるらしい。可愛らしくもあり情け無いようでもある。まだ小学生の身ゆえこれが精一杯なのかもしれない。
現在、子供達とは居を異にしている。要するに離縁したのである。その詳細については今は語らずにおく。と言うよりは悪しき思い出なので今後も語ることはおそらくないであろう。しかし別居して改めて気づくことではないのであろうが、我が子たちの愛おしいことよ。私を踏台にして大きく羽ばたくことを切に願う。子育てを放棄したものの台詞でないことは重々承知しているが、この気持ちだけは年数を経てもいささかも衰えることを知らない。子を捨てた親の定めと肝に銘じ、影ながらその成長を見守ることが全てである。その因果といって、その責を子供達に帰する由は全くないのだが、離婚後かなりの年数を経た現在でも再婚を決意する気持ちにはなれない。女性関係がまるでなかった訳でも
ないが”少なくとも子供達全員が成人するまでは”という気持ちが常に付きまとう。子供達の心を踏みにじり、自身のみが幸福を得ても良いのだろうか?といった思いがある。彼らは良くも悪くも現代人であるので、父が思うつまらぬ頓着などには一向構わないのかもしれない。しかし私は、父親という逃げ場所だけは子供達に確保しておいてやりたいと思うのである。
天上天下唯我独尊。一体何様のつもりだ。コーマンチキ野郎の独りよがりな戯言じゃねえか。俺は実にクソ面白くねぇ不愉快な奴だ。人間のクズ、俺なんか社会から居なくなったって困る奴ぁ一人も居ねぇんだよ。さっさと消えて無くなれ! 綺麗な人になりたい。
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