2007年8月31日
 酒を飲みに外出する事が無くなって一ヶ月以上になる。この間に飲んだ酒は、ビール10本程度に日本酒五合程度である。ビールなどは大瓶1本飲めずに残ってしまう事もある。一切飲まずに生活する事も十分可能だと思う。しかし仕事が終わり、家でじっとしているだけと云うのは実に寂しい。賑やか過ぎるのも煩わしいが、全く言葉を発する事が無い環境も寂しすぎる。

2007年7月22日
 最近はあまり酒を飲まなくなったが今日は飲んでいる。04年のビュゼだ。安い赤ワインである。以前飲んだ時はもっと濃厚な味だったような気がするが、今日は渋みがきついような感じがする。まあグラス一杯飲めばどんな酒でも美味しくなる体質なのでさほど問題ではないのだが。食事はフィットチーネにトマトソースをぶっかけたものである。普通のロングパスタのつもりで少し多いかなとは思いつつも200g茹でた所、パスタ皿に乗り切らずラーメンどんぶりで食べた。外に飲みに出たいのだが、今月は金欠でどうにもこうにも身動きが取れなくなってしまった。金が無いなりに仕事も手薄ならなんとか細々ながらも平穏に生活出来るのだが、ここに来てどっさり仕事が舞い込んできてしまったので出ていく金も想定外である。当分の間このページも更新出来そうに無い。蟻とキリギリスの話を見習い、今のうちに余力を作っておくのも良いことだろう。

2007年7月16日
 飲まないと言いながら今日も飲んでいる。本日の酒は2005年のボジョレーだ。ずいぶん以前からデッドストックになっていて、通常のワインと違い月日が経てば経つ程飲む気が失せていた。ここ一週間仕事のスケジュールが埋まらずに、先々日辺りから昼夜が逆転してしまっていた。明日からは本格的に始動するので、時差ボケを解消するべく昨夜は眠らずにいて今晩の睡眠をきっかけに社会復帰を目論んでいたが、寄せる睡魔に打ち勝つ事が出来ずに昼寝をしてしまった。それも5時間。もう無理である。不承不承酒の力を借りることとなった。不承不承ではあったが飲み始めちゃ旨いものである。もしかしたら陽の目を見ることが無かったかも知れない2005年ボジョレーも心なしか喜んでいる気がする。酒の肴は鶏胸肉のガーリックステーキである。洋風に表現してみたが、実際は居酒屋風のつまみである。ボトル三分の二を消費した今では面倒なので詳細なレシピは後日御報告する。只今23時08分である。私は夜が好きである。子供の頃から夜の不思議な力を感じている。本当に心が安らぐ。単純に静かだから、と云うものでは無い様な気がする。じっくり考えてみたことがあるが光線の方向が重要なのではないかと思っている。私は光に対して敏感な部分がある。精神的に子供の頃から欠陥があったのだろう。夜の一定方向から光線の照射に較べて(あるいは光を制御出来る立場と比較して)、昼間の間は常に太陽の方向を無意識にせよ注意を払わなくてはならない。何か書いているときには右利きの方なら常に左方向からの照射を意識しなくてはならないし、日当たりの悪い家に住んでいる人は陽があたっているうちに洗濯物を干さなくてはならない。生活していく為には致し方ない部分があることは否定しないが、私は時間に身を捕われることを極端に嫌う。仕事を持っている人なら(主婦業も立派な職業)多かれ少なかれ時間には追われてしまうものだが、なぜ地球の自転にいちいち生活のリズムを合わせなくてはならないのだ。洗濯物が乾かないからと言われれば返す言葉もないが・・・。また地震だ。ばあちゃんは大丈夫なのだろうか? 究極のニヒリズムを追求する自分にとっては余計な思考だ。ダンディズムと云う温かい物では無い。一本消費。限界。

2007年7月14日
 飲まないと言いながら飲んでいる。麒麟ラガー生である。今日は町内の祭なのである。それも私の借りている駐車場でビールやらジュースやら軽食全般やらを出店している。現在の住いには去年の秋に引っ越してきたので知らなかったが毎年恒例であるらしい。玄関を出て正味10歩の所で生ビールが一杯200円である。しかも我が家に向かって「ビールはいかが? ビールはいかが?」とがなり立てている。これを我慢せよというのは土台無理な話である。最近流行の水っぽいビールなら飲まずにいることもできたのかもしれないが、麒麟ラガーの樽があることは昼間に確認済である。大急ぎで麻婆豆腐と鶏の味噌焼きを作成し只今4杯目である。普段であれば全く足りない量だが今日は既に良い心持ちである。この程度の飲酒で束の間の幸福が得られるのであれば全く良いことである。気が付きにくい事なのだが幸福は意外と自分の近くに転がっているものなのかもしれない。過去の記述と整合性のない事は酩酊中の為御勘弁願いたい。

2007年7月11日
 暑い時期は酒が旨くないといいながら、ここ最近は毎日浴びんばかりに飲んでいた。今日からしばらく行きつけの店が夏季休暇なので、酒を飲む習慣を見直すことにしよう。旨い肴があり旨い酒があれば飲酒という行為そのものは好きである。ここで重要な事は旨い肴がありという部分である。私は酒(広義にはアルコール全般)を何かを食べずに黙々と飲むことを良しとしない。食事と対であるべきものだと思っている。私の親父というのが極端な酒好きで、悪態もさんざん見てきた。それを幼児期から擦り込まれているので一層そう思うのかもしれない。そもそも多量にアルコールを摂取して酩酊状態になったところで良いことなど一つもない。失言、失態の連続である。アルコールの適度な摂取が体に良いことも、人との話を盛り上げるカンフルとなり得ることも否定するつもりはない。上手な酒呑みは見ていても非常に気持ちが良い。私も他人に好感を与える酒呑みになりたかったが無理な様である。いざ飲み始めれば閉店まで居座って動こうとしないし、隣の客と話を始めれば論破しないと気が済まなくなってしまう。上手な酒呑み以前に人間性の欠如を自分で再確認してしまう。ここのところそれを毎日のように繰り返している。このままではいけない事は承知済みだが自力ではなかなか解決できない。いい年こいてくだらねぇこと言ってんじゃねぇ、と思われるかもしれないが自分を叱ってくれる人間の必要性を感じる。とりあえずは飲み始めなければ良い訳で、旨いものを目前にしても最初の一杯さえ我慢すればクリアできる課題である。一週間我慢してみよう。

2007年7月5日
 暑い季節は酒が旨くない。理由は簡潔、飲むと余計暑くなるからである。寒いのは結構耐えられる方だが、暑いのは苦手である。スポーツ選手顔負けの肉体労働を生業としているが、炎天下の穴掘り等は地獄である。大きい建築現場等は必ずと言って良い程鉄板が敷き詰められていて、真夏の太陽をしっかり浴びてホッカホカに焼け上がったそれの上は裕に50度を超えているだろう。朝と夕で体重が2kg違うと言えばどの程度の労働かがお分かりか。それに追い討ちをかけるように現場監督は”やれ長袖で作業しろ”だの”安全帯をちゃんと着用しろ”だのと宣っている。お前ら一時間でいいから代わりにやってみろと申し上げたい。学業を疎かにしてしまったことに対する代償としては高すぎる様な気がする。閑話休題。要するに、夏は仕事が終わった後に酒を飲む元気が残っていないのである。日曜日の昼間から下品に酔っ払う作業員風の人達をみなさんも見掛ける事があると思うが、そういった事情があるので眉に皺を寄せる事無く温かい眼差しで見てあげて頂きたい。本人たちもとても幸せそうに飲んでいるはずである。熱燗の旨い季節が待ち遠しい。
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